■ 2003年01月06日 (Mon) 先日、思いがけずサイモン&ガーファンクルのライブを見たなり。 1981年9月19日にアメリカ・ニューヨークのセントラルパークに53万人を集めて開催した「伝説」のライブ、「Simon & Garfunkel The Concert In Central Park」がNHKで放送されていたなりよ(本放送は昨年11月に衛星第2で放送。コ○助はNHK総合での地上波再放送を見たなり)。 53万人ってどういう数字なりかね(笑)。 東京ドームが5万人。 あそこを一杯にするだけでも大変なことなのに、その10倍なりよ。 「伝説」と言われるのも、頷けるところなり。 サイモン&ガーファンクルはグラミー賞に6度も輝いた、アメリカ音楽界の中でもトップクラスの偉業を達成した大家なりが、1960年代が最も人気のあった時期ということもあって、コ○助も残念ながら詳しくは知らないなりね。 恐らくコ○助よりも若い世代だと、実際に曲を聞いたことがあるという人も、もしかしたら少ないかもしれないなり。 サイモン&ガーファンクルはポール・サイモンとアート・ガーファンクルによる、2人組のデュオ。 1960年代後半に全米チャートを席巻し、チャート1位を記録しまくっていた超人気デュオなり。 1970年にアルバム「Bridge Over Troubled Water(明日に架ける橋)」を発表、サイモン&ガーファンクルとしては過去最大級のヒット&最高の評価を受けたものの、このアルバムを最後に惜しまれつつ解散。 実はコ○助が知っている数少ないサイモン&ガーファンクルの曲のうち、最も好きな曲はやはり何と言ってもラストアルバムのタイトル曲となっている「明日に架ける橋」という曲。 この曲を初めて聞いたのは、1994年に放送された野島伸司脚本のTBS系ドラマ「人間・失格」(出演:赤井英和、桜井幸子、加勢大周、堂本剛、堂本光一。主題歌:サイモン&ガーファンクルの 「冬の散歩道」と「水曜の朝、午前3時」)だったなりが、皆さんは覚えているなりか?このドラマ。 何とも救いようの無いほど暗い、暗い、どんよりしたドラマだったなりが、最終話の最後の最後に流れたなりよ、「明日に架ける橋」が。 ドラマが最後まで重い内容だったので鬱屈した気分になっていたものの、最後に「明日に架ける橋」のメロディを聞いていたら、少しだけ気持ちが救われたような気がしたなりね。 まあドラマがきっかけというのも寂しい話なりが、でも恐らくこのドラマを見ていなかったらコ○助は「明日に架ける橋」という名曲に出会う事も無かったのではないかと。 そういう意味では「人間・失格」に感謝感謝なり。 その後、コ○助の音楽ライブラリーの中では必聴の一枚として「明日に架ける橋」が加わることに。 かつての洋楽の名曲は数あるなりが、コ○助の中では「明日に架ける橋」は確実にベスト3に入っているなりね。 ドラマを見た後に、CDを買って初めてこの曲の歌詞の意味を知ったなりが、簡単に説明すると「君が辛いとき、悲しいときには僕が橋のようになってあげる。明日に架ける橋のように、君を支えていこう」というものなりが、静かなピアノ伴奏のバラードと、この歌詞が相まって非常に泣けてくるなりよ。 普段コ○助は音楽を聴いて感極まることはあまり無いなりが、「明日に架ける橋」だけは別格。 なぜか心を揺さぶる曲なり。 で、そんな「明日に架ける橋」も当然NHKで放送されていたライブで流れていたなりね。 CDでは長年聞いてきた「明日に架ける橋」だったなりが、実際にサイモン&ガーファンクルが歌っている姿を見るのは初めてということもあって、結構衝撃的だったなりよ。 「明日に架ける橋」はラストに歌っていたなりが、画面を見ながらうるうると。 何でなりかねぇ。 別に寂しい、悲しいことは無いのに、心の琴線に触れるなりね。 ところで1970年に解散したのに、なぜ1981年のライブが「伝説」なのかというと、10年ぶりの復活コンサートで、しかも動員力がハンパじゃなかったということが「伝説」たる由縁のようなり。 また、1980年12月に元ビートルズのジョン・レノンが射殺されて以降、初めてニューヨークで行われた大規模なライブということでも、アメリカの音楽史的に重要なライブだったようなり。 まあとにかく凄い人だったのは確か。 あんなライブ、あまりお目に掛かれるものではないなりね。 恐らくコ○助と同じ世代の人なら、「人間・失格」絡みで「明日に架ける橋」を聞いたことがある人も多いはず。 でも下の世代、特に10代になってしまうと、もう分からないかもしれないなりね。 とても良い曲なので、機会があればぜひ。
全くの余談なりが。 1990年の紅白歌合戦。 人気絶頂の宮沢りえが入浴シーンを披露、長渕剛が17分30秒に渡ってベルリンから中継出演、シンディ・ローパーが出演と、今思えばかなり暴走気味の紅白歌合戦だったなりが、この紅白歌合戦にポール・サイモンが出演し、「明日に架ける橋」を熱唱していたのだとか。 う〜む、スポットスポットで宮沢りえや長渕剛の映像は覚えているなりが、ちゃんと見ていたわけではないのでポール・サイモンの記憶が全くないなりよ。 コ○助が中学生の頃なので、しっかりと見ることができるチャンスだったのに惜しいことをしたなりねぇ。 って、コ○助が「明日に架ける橋」と出会ったのが1994年なので、その4年も前の話なので惜しいも何もないなりが。 さらに余談なりが、この1990年の紅白歌合戦にはフィリピンのガリー・バレンシアーノ、ソ連のアレキサンドル・グラツキー、モンゴルのオユンナなどなど、非常に国際色豊かだったなりね。 オユンナは覚えているなりが、後の二人は誰?誰なりか(笑)。
|
|