阪神、近鉄の山村宏樹投手を獲得へ。

2004/09/19 11:06 Written by コ○助

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野球に詳しい人か、阪神&近鉄ファンでも無い限り、近鉄の山村投手といってもピンと来ないかもしれないなりね。阪神ファン、というよりもコ○助にとっては山村投手は非常に思い入れの強い選手なりよ。今季の山村投手は11試合に登板、0勝1敗0セーブ、防御率7.27という惨憺たる成績の、ひょっとしたら「平均以下」の投手かもしれないなりが、なぜこの選手に思い入れがあるのか。それ説明するには阪神時代にまで話を遡る必要があるなり。

山村投手は1994年のドラフト1位として阪神に入団。甲府工業高校2年生の時に、エースとして夏の甲子園に出場した実績を買われ、また、山村投手も阪神入りを熱望。相思相愛での阪神入りだったことから、「将来のエース候補」として多くのファンの期待を背負っていた投手だったなりね。ただ、阪神には5年間在籍していたものの、1勝しか挙げられずに1999年オフに解雇。これだけだと「重圧に潰された投手」「スカウトが実力を見誤った投手」という評価をされそうなりが、阪神ファンは「なぜ力を発揮できなかったのか」ということを知っているなりよ。それは、チーム内での「いじめ」。

事実として球団が発表したというようなことは無いなりが、当時、まことしやかに囁かれていたひとつの噂があるなり。山村投手が入団した当時、阪神には甲府工業高校の先輩にあたる中込伸投手(すでに現役引退)がいたなりが、この中込投手というのは番長肌な男で、後輩いじめをしていた、と。具体的に何をされていたのかは今となっては分からないなりが、山村投手が阪神を去る直前には「自律神経失調症」にかかり、心の病で退団という異常事態だったことからも、このいじめの噂は確度の高い話として語り継がれているなりね。ちなみに、中込投手は、1997年にドラフト1位で入団した中谷仁捕手(智辯学園和歌山高)もいじめていたと言われており、表向き「不慮の事故」として処理された「投げつけた携帯電話が中谷捕手の目に当たり、失明の危機に陥った」事件の当事者とされているなり。中谷捕手がその後、野球選手として伸びずに苦しみ、もがいている姿を見るたびに、阪神ファンは心を痛めているなりよ。ゆえに、中込投手は一部の阪神ファンからは「ドラフト1位クラッシャー」と呼ばれているなりね。

山村投手は阪神を解雇されたあと、野球を辞めようと思っていたようなりが、近鉄の梨田昌孝監督から「環境が変わったら、君はやれる。体は大丈夫なんだからウチに来い」と熱く説得され、近鉄に入団。移籍1年目に6勝、2年目に7勝を挙げ優勝に貢献するなど、一時は近鉄のエース級の働きを見せていたなり。その後、登板機会が激減して成績を残すことができずにいるなりが、使われれば結果を残せるタイプなので、もう一花咲かせてあげられないものかと思っていたなりよ。昨年オフには出場機会を求めて移籍志願もしていたなりが、なんと古巣の阪神が再び山村投手の獲得に動くというなりね。中込投手もいなくなったことだし、最後の働き場として阪神に戻ってくるというのは、山村投手にとっても、ファンにとっても良い選択なのではないかと。

余談なりが、阪神が1994年にドラフトで指名した選手は山村投手を含めて5人の選手が指名されているなりが、2位の北川博敏捕手、4位の川尻哲郎投手は近鉄で活躍中。特に北川選手は打率.305、18本塁打、83打点(9月18日現在)の大活躍で、4番を打つこともしばしば。なんだか1994年のドラフトは、結果的に近鉄のために行ったようなドラフトになってしまっているなりねぇ(笑)。阪神の選手を見る目の無さを痛感させられるところなり。

まだシーズン中なので山村投手の獲得が決まったわけではないなりが、阪神復帰が決まった折りには、暖かく歓迎したいなりね。新しい環境の阪神で、頑張って欲しいものなり。

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